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1か月前
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Seouldrip🇰🇷

高句麗第2代王ユリは、本当に朱蒙の実子だったのか?

三国史記 高句麗本紀 東明聖王篇

「王子ユリ(類利)が扶余からその母親と共に逃れてくると、王はこれを喜び、彼を太子に立てた。」

三国史記 高句麗本紀 ユリ王篇

「ユリが高句麗に持ってきた折れた剣が、朱蒙が持っていた剣と一つになると、朱蒙はこれを喜び、ユリを太子に立てた。」

東明聖王篇とユリ王篇は、一見すると互いに変わりない同一の内容に見えるが、微細な差異がある。前者はユリが母親と共に扶余を脱出したということであり、後者は母親への言及はあるものの、文脈上は単独で脱出し、自らが朱蒙の実子であることを自ら証明しているということだ。

ユリが朱蒙のように外部から来た人物である可能性は高そうだ。しかし、本当に朱蒙の実子だったのか? それは誰にも分からない。皮肉なのは、ユリが朱蒙の実子であることを確認させる「折れた剣」の説話が、現代においては本当の実子であるかを疑う根拠にもなっているということだ。

高麗時代に作成された『東国이상국집(東国理想国集)』にもユリ王の神話が言及されている。三国史記のユリ王篇の内容と大きくは変わらないが、ここではユリの非凡さと正統性、そして神聖さまでも示している。

「ユリは幼い頃から奇異な才能があったという。少年時代には雀を射ることを業としていたが、ある婦人が水瓶を担いで行くのを見て、それを射抜いた。その女が怒り、父親のない子だと罵ると、ユリはひどく恥じ入り、泥の弾を射って抜けた穴を塞いだ。」

この文章は、ユリもまた幼い頃から弓を射ることに才能があったことを示しており、ユリの非凡さを表す内容だと言える。

三国史記のユリ王篇では、ユリが持ってきた折れた剣の破片と、朱蒙が持っている折れた剣が合わさることで、ユリが朱蒙の息子であることが証明されたとある。東国이상국집の東明王篇も、二つの剣の破片が合わさる点は同じだが、血を通じて正統性をより強調するという違いがある。

このように血を利用して血縁関係を証明する構造は、朝鮮半島に伝承されてきた巫俗神話である「タングマギ(当金愛記)」でも見ることができる。

<タングマギ>

1. 天に祈って望んでいた娘が生まれ、名前をタングマギとした。

2. 乙女になったタングマギが一人で家にいたとき、僧が訪ねてきて接触した後、消え去った。その後、タングマギは懐妊することになる。

3. タングマギは家族によって箱に閉じ込められ、その中で三つ子を出産する。

4. 息子三兄弟は成長するにつれ、父親がいないという悪口を耳にし、タングマギに父親について尋ねた後、タングマギと共に僧を探しに行く。

5. 僧は三兄弟に実子確認の試験を行い、最後に僧と三兄弟の血が合わさることを確認すると、実子であることを認めた。

朝鮮半島全域に存在してきた巫俗神話であるため、地域ごとに詳細な内容は少しずつ異なる。上に記述したタングマギは、その中の朝鮮半島北部地域の伝承本を中心に要約したものである。そして、このタングマギは朱蒙神話およびユリ王神話に含まれる叙事構造とも非常に似ている。

東国이상국집が三国史記とまた異なる点は、折れた剣の内容の後でも、朱蒙がユリを簡単に自分の実子として認めない点だ。むしろ「本当に私の子ならば神聖さを示せ」と言い、ユリに追加の試験を課す。この試験も、タングマギの中で似た内容を見つけることができる。

ともかく、朱蒙の要求にユリは窓から差し込む光を踏んで登るという神聖さを見せる。このとき「乘牖中日」の「乘(のぼる・乗る)」という漢字を、「遮る」という意味に解釈して監禁を語ることもあるが、個人的には日光(太陽)を自由自在に操れる神聖な能力を強調するために、「乗る(たる)」という意味で使用されたと考えている。「私も朱蒙と同様に同等の資格を備えた人間だ」という意味を表すために作られた部分だと思われるからだ。

魏書 列伝 高句麗

「朱蒙が王になったことを知り、すぐにその母親と共に逃れてくると、名前を女達(ヨダル)といい、国の政務を彼に任せた」

中国の正史の一つである『魏書』を見ると、ユリと推定される人物が登場する。ここでは「女海(ヨヘ)」という名前で出てきて、母親と共に扶余から脱出して高句麗に来た後は、「女達(ヨダル)」という名前を使用したという。太子になったという言及はないが、朱蒙が「国の政務を彼に任せた」と記されていることから、自発的であれ他発的であれ、権力の方向がユリへと傾いたことが考えられる。

紀元前19年9月、朱蒙が没する。朱蒙が高句麗で王になってから19年、そしてユリが高句麗に来てからわずか5ヶ月後のことである。

「ユリが『玉の鞭で葬儀を行った』という記録により、朱蒙の遺体についても疑問点が生じるように、ユリが高句麗に来てから朱蒙が死ぬまでの約5ヶ月間の空白は、多くの想像力をかき立てる。

自分が住んでいた場所を離れ、新しい人物に出会い、新しい地域に定着するという進行構造と、英雄が持つべき非凡さと正統性、そして神聖さを叙事として盛り込んでいるユリ王神話を見ると、まるで朱蒙の息子についての神話ではなく、もう一つの「朱蒙神話」のような感じもする。

もしかするとユリは、朱蒙の遺体さえ行方不明になったかもしれない朱蒙在位末年の混乱した時期に、朱蒙から王座を引き継いだ外来者だったのではないか? そして後代のある時点で、朱蒙の息子として再定義され、その結果、北方地域から伝わっていた「試験と血による実子証明」という叙事が含まれた王権継承の部分だけが残ったのかもしれない。

要約

1. 朱蒙神話とユリ王神話のデカルコマニーのような叙事構造

2. 北部地域に漂っていた実子確認説話が使用されたと思われるユリ王神話

3. 朱蒙が高句麗で王になって19年が経ってからようやく現れたユリ

4. ユリが高句麗に到着してすぐに権限を譲ったという記録、および5ヶ月後の朱蒙の崩御

5. 玉の鞭で朱蒙の葬儀を行ったユリ

6. 新羅の昔脱解(ソクタルヘ)のようなケースではないかと思う。

面白く読んでいただけたら、ぜひ「おすすめ」をお願いします。

実は、この記事はもともと「簒奪」の方に重点を置いた内容でした。なので画像も説話をベースに、まるで朱蒙とユリが戦っているような感じで生成したんです(笑)。ユリが高句麗に登場してすぐに朱蒙が権限を譲り、5ヶ月後に崩御、さらに朱蒙の遺体が行方不明になったような記録まであり、多くの想像力をかき立てられたため、「簒奪」という興味深いテーマで方向性を決めました。ただ、この簒奪という内容には最大の弱点があります。それは、マリ、オイ、協報、部分奴など、朱蒙と共に高句麗を建国し活躍した朱蒙の部下たちが、ユリ王の時代にも記録に登場することです。私はこの点について、高句麗初期が部族連合で構成された国家であったことを考え、彼らが朱蒙と共に活動してはいたものの、それぞれ別の部族に属する人物であり、部族の利益のためにユリと手を組んだ可能性もあると考えました。朝鮮時代の李芳遠による「王子の乱」の際も、李成桂が抜擢し大切にしていた部下や、実の兄弟のように過ごしていた人物が李芳遠側に付いた例があるため、紀元前の時代にも十分に起こり得ることだと思いました。あるいは、これは少し飛躍しすぎかもしれませんが、ユリ王時代のそれらの人物は実は朱蒙時代の人物ではなく、捏造された可能性もあります(笑)。しかし、思ったより「おすすめ」が増えなかったので、最終的に簒奪のテーマは削除し、「果たしてユリは朱蒙の本当の息子なのか、そうでないのか」にタイトルと本文を少し変更しました。終わり!

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